近年、「Vegan ヴィーガン」という生活スタイルを取る人が世界中で増えてきています。
私を含め家族は「Vegan ヴィーガン」ではありません。
でもその考え方を知る中で、なぜ「Vegan ヴィーガン」という思想に至る人がいるのか、「食」産業の在り方を深く考えさせられました。
「食」という人が生きていく上で不可欠な要素には、矛盾が多く含まれています。
この「食」の矛盾とどうつき合っていくのか。
これが子どもたちの世代のテーマの一つだと考えました。
このようなテーマとつき合っていく子どもたちに、幼児教育や子育ての場面でどんな働きかけができるのか、考えてみました。
そもそもVegan ヴィーガンとは?
ヴィーガニズムまたは絶対菜食主義は、動物製品の使用を行わない生活様式である。(参考:wikipedia ヴィーガニズム より)
つまり、肉も魚も卵も乳製品も食べないし、皮革製品も身につけないという生活スタイルのことを言います。
このことからも、「Vegan ヴィーガン」の思想のベースにあるのは、動物愛護の観点だと私は理解しています。
人によってその思想の主張の仕方はさまざまあり、その行動の是非が問われる問題も過去に日本でも起こっていることは、みなさん記憶にあることでしょう。
だからといって、「Vegan ヴィーガン」の方の声に耳を傾けない、異質な人たちという見方をするのも21世紀においてはナンセンスだと思います。
「食」は矛盾するもの
・「人間は昔から狩りをして生きてきているに、なぜ肉を食べることを否定するのか?」
・「現代の食肉の加工の過程に問題があるのは何となくわかる。でもその加工に携わる人たちを否定することはできるのか?」
・「肉を食べないという生き方を世界中が選んだとしたら、どうやってその分の食糧を補うのか?」
どこまで考えても矛盾が生じて、なかなか自分の中でも答えが出せない。
この矛盾にどう対峙していくのか、それにヒントを与えてくれた絵本があります。
「INTE GÅ PÅ ZOO」 Jannika Navjord
SOYAというプレスクールに通っている主人公が、動物園にピクニックに行く行事について考えるというお話です。
SOYAは動物が好きで、動物には会いたいけど、檻の中にいる動物は見たくないと考えます。そこでSOYAはピクニックへは行かないという選択をするのです。
さまざまな意見はあれど、自分はどう考えるのか。それが正解かは分からないけど、とにかく行動を決めることが重要なのだとSOYAは教えてくれます。
正解は一つではない
「動物製品をいっさい使用しない」
「自然農法で育てられた家畜だけを食す」
「毎度の食事で感謝しながら食べる」
他にもさまざまな選択肢があるはずで、それを自分で決めることが、矛盾を含んだ課題への対処だと考えます。さらに、隣の人は同じ考えではないことも理解し、それを尊重することも必要です。
この著者は「Vegan ヴィーガン」の方です。動物愛護の主張はもちろんあると思いますが、幼児教育の場面において示唆に富んでいました。
幼児期の子どもは、第三者の視点に立って物事を捉えることができません。それを友達や先生や親とのやりとりの中で身につけていく段階です。
例えば、友達のものを取り上げたことによって、その子が泣いてしまったとします。
自分はそのものを使いたい一心でした。けれども、それによって友達を悲しませた、という現実から、子どもは少しずつ友達にも気持ちがあること、さらに自分のものとは違いがあること学んでいきます。
そのような発達段階の子どもに対して、この「食」の課題を直接的に考えさせるのは難易度が高いです。
けれども、動物園を楽しみにする絵本を読んだり、SOYAのように動物園の動物をかわいそうに思ったりする絵本を読んだりすることはできます。
その中で子どもが自分で感じた矛盾を
どう考えて、どのような行動をするかを決めて、行動するか。
それに対して子どもに関わる大人が教えさとしたり、禁止したりすることはなく、子どものその意思を尊重する。
こういった場面をスウェーデンのFörskola 就学前学校ではよく見かけます。
それが幼児期の子どもに対してできる大人の働きかけだといえます。
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